織田信忠(おだのぶただ)を描いたイラスト作品

2019.01.21  2019.07.14 

織田信忠は岐阜城主であり、また旗本、尾張衆、美濃衆を一手に束ねている武将でした。信長に代わって松永久秀の信貴山城攻め等、織田軍団の総指揮を取り、キッチリ成果を出せる武将でした。長篠の戦いで武田軍に圧勝した信長は、天正10年2月武田勝頼討伐の大軍を発しました。この時 織田信忠は先鋒(せんぽう)大将として、尾張・美濃衆の兵を率いて信濃(長野県)に進撃。一ヶ月たらずで甲斐(山梨県)の天目山で勝頼を滅ぼすと、その首級を美濃(岐阜県)の岩村に布陣していた信長に進上しました。6月2日の早朝、父・信長が京の本能寺で明智光秀に襲撃されたことを知ると、救援に向かおうとしました。しかしすぐに本能寺が焼け落ちたことを知り、二条御所に入って明智光秀軍と戦います。衆寡敵せず、信忠は自刃(じじん)しました。享年26才でした。
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